[ ハートフルなサボテン ]




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 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)

「オバマの戦争と平和、傷だらけのスピーチ」

 12月10日(木)の午後(現地時間)ノルウェーの首都オスロでノーベル平和賞
の授賞式が行われました。受賞者のオバマ大統領は、慣例にしたがって受賞スピーチ
を行わなくてはなりません。そのスピーチですが、アメリカ英語では「アクセプタン
ス(受賞)・スピーチ」ですが、主催者側のノーベル賞委員会では「レクチャー(講
義)」と呼んでいるように、儀礼的な演説では許されない格式を備えたものです。こ
れは、現在のオバマ大統領の立場からすると、大変に難しいものだったと言えるで
しょう。

(1)その格式に負けない格調と内容がなくてはならない。一部の行事を辞退したこ
   とで「賞を軽視している」という批判が現地にはあり、これを打ち消すために
   も並の演説では許されない。
(2)過去の受賞者との比較で賞の権威に傷をつけることはできない、がその反面、
   過去の受賞者を賞賛するとなるとキング牧師とガンジー(実際は受賞を固辞)
   の「非暴力主義」に言及しないわけには行かず、アフガン増派をしている自分
   はどうなんだという窮地に追い込まれる。
(3)平和賞とは「ヨーロッパ的エリートの建前論でアメリカの国益には反する」と
   いうアメリカの保守派の鬱屈した感情を刺激するようだと、反発した保守派が
   勢いづく。
(4)現に前線に兵士を送り、増派も命令した手前、前線の士気を低下させる発言は
   許されない。
(5)だからといって「ブッシュ路線を否定」したことへの国際世論の評価を無視す
   るわけにはゆかない。

 これに加えて、オバマの「平和賞受賞」というニュースの受け止め方の変容という
問題があります。そもそも受賞のニュースが伝えられた時点で、アメリカ国内では違
和感が大きかったのです。一方、海外では「核廃絶」や「イスラムとの和解」などの
メッセージが好意的に受け止められる中で、受賞を喜ぶ声がかなりありました。です
が、その後アメリカ国内では、健保改革のドタバタや、雇用情勢の好転の遅れなどか
ら大統領の支持率が低下しています。また海外では、アフガン増派の決定を受けて、
急速に「オバマ人気」は翳りを見せています。

 その結果として、授賞式の直前のアメリカの世論調査では、オバマ大統領のノーベ
ル平和賞受賞については、66%の人が「時期尚早」であると答えているのです。時
期尚早というのは要するに反対ということで、これはやはり異常な事態です。オバマ
は、上の述べた5つの点に加えて、こうした「どんどん強まる内外からの逆風」をど
う受け止めるのか、そんな中でのスピーチは大変に難しいものとなりました。

 そのスピーチですが、アメリカではニュースショーの枠内であったにも関わらず、
東部時間では午前8時30分からという時間帯はすでに「家庭と芸能トピック」の時
間帯に突入しており三大ネットワークは中継せず、CNNなどの「ケーブルニュース
局」だけが、中継するという扱いでした。

 結果的に見れば、アメリカ国内向けとしてはスピーチは成功だったと思います。中
継をしなかった三大ネットワークも、夕方のニュースではトップ扱いでした。上に述
べた5つの条件を全てクリアしたばかりか、受賞決定後の状況の悪化をはね返す、政
治的には効果的な内容でした。内容については詳しく報じられていると思いますが、
簡単に言えば「戦争は悲惨だが、必要な戦闘というものはある」「非暴力主義は賞賛
するが力でなくては安全が守れないものがある」というロジックで、自身のアフガン
増派の決定、そしてアメリカの未だに残る一国主義的な「反テロ戦争」を正当化した
内容です。

 中でもアフガンなどの戦争のことを "just war" つまり「正当化しうる戦争」と呼
んだことは、様々な論議を呼んでいます。ただ、そうした居直りにも似た姿勢を秘め
ながらも、ありとあらゆる論点に関してはバランスを取ったり、ロジックでかわした
り、非常に練られた内容でした。何よりも、演説の冒頭で自分のことを「戦争を遂行
中の合衆国最高司令官」であると述べた直後に、

Still, we are at war, and I'm responsible for the deployment of thousands of
young Americans to battle in a distant land. Some will kill, and some will
be killed. (依然として私たちは戦時にあり、自分には何千という若き兵士を派兵
していることの責任がある。彼らは国を離れた遠方に派遣されているが、その中の何
人かは人を殺めることになり、また何人かは生きて帰ることはないだろう。)

 と言った部分、そして、もう少し先にある、

So yes, the instruments of war do have a role to play in preserving the
peace. And yet this truth must coexist with another -- that no matter how
justified, war promises human tragedy. The soldier's courage and sacrifice
is full of glory, expressing devotion to country, to cause, to comrades in
arms. But war itself is never glorious, and we must never trumpet it as
such. So part of our challenge is reconciling these two seemingly
inreconcilable truths -- that war is sometimes necessary, and war at some
level is an expression of human folly.

(あえて申し上げるが、戦争に訴えるという手段は、平和を保持するというのがその
役割だ。だが、この事実は、また別の事実と両立しなくてはならない。それは、どの
ような形で正当化されるとしても、戦争は必ず人類にとっての悲劇となるという事実
とだ。兵士の勇気そして犠牲は栄光に満ちており、祖国、戦争目的、戦友同志への献
身の表現でもある。だが、戦争そのものは決して栄光ではないし、我々は決して戦争
の栄光を高らかにうたってはならない。ということはつまり、我々は一見すると絶対
に両立しない二つの事実を両立させなくてはならないという困難に直面しているのだ。
その二つというのは、戦争は場合によっては必要であるが、同時に戦争はあるレベル
において人間の愚かさの具現だという事実だ。)

 などという文言は、すでにいつものオバマ流のレトリックの範囲を超えていると思
います。自分の手が血で汚れていることを認めつつ、ダークサイドに倒れるギリギリ
のところで耐えている「オバマ流戦争哲学の大見得」とでも言うべきでしょう。こう
いう矛盾に気づく人は限られています。その矛盾を自分で背負おうとする人はもっと
限られるでしょう。しかし、このように世界中の注目を浴びた場で、戦争のことを
「正当化されるが悲劇を生む」「時に必要だが、人間の愚かさの具現でもある」など
と自分がその矛盾を背負っていることを宣言できるというのは、恐らくは人類史上で
この人ぐらいしかいないでしょう。

 私は今回のスピーチには、基本的には感服しましたが、こういうことを言えるリー
ダーが存在するということが、アメリカの、そして人類のために本当に良いことなの
かは良くわかりません。反戦のセンチメントに乗って当選したのなら、反戦で一貫し
てもらいたい、そのために草の根保守が騒いで国が分裂状態になり政治が停滞するの
であっても、そちらの方が「まし」という考え方の方がはるかに常識的だと思います。
また、ブッシュのようなカウボーイ的な大統領が上にいて、インテリはその批判をし
て全体がバランスするという構図の方がはるかに分かりやすいでしょう。

 とにかく、合衆国大統領がこのように「戦争哲学の大見得」を切るというのは、や
はり異例な事態だと思います。また、こうした複雑な論理を駆使するということその
ものが、政治の怪物による冷酷な計算の結果という突き放した見方も可能でしょう。

 ですが、私は演説の終りに一瞬だけですが、オバマの人間性を垣間見たように感じ
られる瞬間がありました。それは、

Somewhere today, in the here and now, in the world as it is, a soldier sees
he's outgunned, but stands firm to keep the peace. Somewhere today, in this
world, a young protestor awaits the brutality of her government, but has the
courage to march on. Somewhere today, a mother facing punishing poverty
still takes the time to teach her child, scrapes together what few coins she
has to send that child to school -- because she believes that a cruel world
still has a place for that child's dreams.

(今日も世界のどこかに、劣悪な装備しか与えられていないのに平和を守るために前
線を支えている兵士がいる。今日も世界のどこかに、圧政に抗して、異議申立てのデ
モに立ち上がる若者がいる。今日も世界のどこかに、悲惨なまでの貧困に直面しなが
らも、子供の勉強を見てやる時間をひねり出し、僅かな小銭を集めて子供を学校に通
わせる母親がいる。その母親にとっては、世界はいまだに過酷な場所であるけれども、
それでも子供が将来を夢見る場所は残っている、そう信じられるからだ。)

 という部分です。最初の二つの文章は、保守とリベラルの双方に仁義を切ってバラ
ンスを取るレトリックに過ぎないのですが、その先の「貧困に直面した母親」が「子
供の夢見る場所」を信じて「勉強を見てやる時間を」ひねり出すというのは、ちょっ
と文脈的には不自然で、とって付けたような感じがするのです。私は、この部分でオ
バマは、亡き母親がインドネシア時代に寸暇を惜しんで自分の勉強を見てくれたとい
う経験を投影しているのだと思いました。

 その証拠に、授賞式の後に行われたレセプションで、ワイングラスを片手に乾杯の
短いスピーチに立ったオバマは、自分の今度の受賞については色々言われているけれ
ども、とにかくこのメダルは亡くなった母親に捧げるんだというようなことを言って
いるのです(NBCのニュース映像による)。乾杯の音頭ということで、プロンプタ
ーなしの恐らくは即興だと思うのですが、この発言が、スピーチの最後の「貧しい母
親の希望」云々という部分と重なってくる、私にはそう感じられました。

 私はこの部分にオバマの真情が吐露されているように思いました。リベラルな人類
学者であった母がもしも存命であったのなら、この「バランス感覚のガラス細工であ
り、同時に血で汚れた戦争哲学」を理解してもらえるか、バラク・オバマという人は
自信がないのだと思います。それが不自然な「貧しい母親の希望」とう文言や、メダ
ルを母に捧げるという発言につながっているのだと思うのです。母に理解してもらえ
るか自信がないのであれば、それはオバマにとっての本当の良心に照らして、何らか
の曇りがあるということです。そこに私はオバマの人間性を見た思いがしました。

 PBS(米国の公共放送)の記者が書いていたのですが、この「貧しい母親の希望」
の部分はスピーチの中で唯一暖かみを感じさせる部分であり、そのトーンがスピーチ
の後でのピアニストの郎朗(ランラン)によるリストの『愛の夢』の演奏と相まって、
授賞式全体にホッとした余韻を与えたのだそうです。私は、中国が世界に誇る郎朗の
登場は、スピーチの中で中国やミャンマーの批判がかなりストレートに出ていたので、
それを帳消しにするためかと思っていました(実際に国際映像では、招待客の中にい
た中国の大使館付き武官の女性が何度も映っていました)が、それ以上に彼の演奏に
は「場を救う」効果があったようです。もっとも、芸術を理解しないCNNは国際映
像からこの演奏はカットして、サッサと論評に入っていたのでした。

 いずれにしても、このスピーチはバラク・オバマという人物を理解する上で、重要
なものだと思います。論理の破綻を糸で縫い合わせたような傷だらけのスピーチです
が、その傷の痛みをこの人は背負っている、私にはそう思えましたが、こればかりは
人によって受け取り方はそれぞれになるでしょう。例えば、共和党の現時点でのリー
ダーとみなされている、サラ・ペイリンと、ニュウト・ギングリッチの二人は、米国
の理念を擁護した演説だとして激賞しているそうです。本稿での私の訳は、例によっ
て意訳が入っていますので、興味のある方は是非原文の全文にあたっていただきたい
と思います。ホワイトハウスのHPで簡単に閲覧ができます。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』など
がある。最新刊『アメリカモデルの終焉』(東洋経済新報社)